hoyonco’s diary

悪あがきのまいにち

バリキャリになりたいっ!


突然ですが、私の二十歳の時の夢を聞いてほしい。
それは「バリキャリになること」だった。

 

「バリキャリ」とは「バリバリ働くキャリアウーマン」のことであるが、そんな、天海祐希みたいなお姉さんになりたかったのである。

しかし、現実の私は、平日の昼間っから電気毛布にくるまって
かさばりながら、もこもこちまちま、原稿用紙に戯言を書きつける毎日である。
どこで道を間違えたのだろうか。

 

日経新聞によると、2011年以降「バリキャリ」という言葉がネット上で使われ始めたようだ。
バリキャリの反対は「ゆるキャリ」らしい。バリキャリが上昇志向の強いバリバリ働く女性のことを指すのに対して、ゆるキャリはプライベートを重視してゆるく働く女性たちのことを言うのだという。

 

私の年代を総称すると「Z世代」というらしいが、Z世代の私の周りにはバリキャリの同級生は居ない。
友達の友達くらいにはいるのかもしれないけど。
そんなに交友が広い学生生活を送っていないので。
しかし、そうなるのは当然で「最近の若いもんは仕事に後ろ向きだ!!」みたいなことじゃないと思っています。
そう、我らの世代は、まだバリキャリの蕾の段階なのです。
バリキャリとはその人の「その時点でのやりがい」を点で指す言葉ではなく、仕事の積み重ねで育っていくものだと私は思っている。少しずつ、「あれ?仕事楽しいかも・・・?」となってきて、そこから責任が増したりすることで、バリバリ働くことの喜びに目覚めていく…。
だから、若いうちは慣れることに精一杯になってに、
何かのピースがかちりとはまって、徐々バリキャリに育っていくものだとおもう。

だから、仕事さえはまれば私にもバリキャリの道はあったんじゃないかと思っている。

 


残念ながら、私はどの仕事も1年以上続けられなかったので、やっぱり無理だったかもしれない。


よく考えたら、人生のスタートの時点でもうバリ道には進めていなかったのかもしれない。
まず、そもそも私は、高校1年の時、初めての体育祭なのに、体育着を忘れて参加するような愚か者である。そんな愚か者には、天海祐希のようなかっこいい女性は務められないと思う。
そりゃあもう、生まれたところからやり直すしかないなあ。

『君と宇宙を歩くために』を読んで、私は。


今日私はとある漫画を読んだ。
たまたまSNSの広告に出てきて、気になって試読し、続きが読みたくて
急いで本屋に駆け込んだ次第だ。

 

「君と宇宙を歩くには」泥ノ田犬彦 作

 

この本の、何が気になって手に取ったかといえば、多分、主人公・小林があらすじで「勉強もバイトも続かないヤンキー」として紹介されていたことかなと思う。
何を隠そう、私も「続かない」人間なのだ。


私はつい先日、24歳にして3社目となる会社を退職した。
理由は、精神面の不調により、である。
一度目も二度目も、「精神面の不調により」で会社を辞めている。

この会社に入社したときは、三度目の正直で落ち着けるんじゃないだろうか、と夢見ていたときもあった。


しかし二度あることは三度ある、今回も仕事を続けることはできなかった。
「続ける」ということが、私にとってはどうやら難易度が高いらしい。

もちろん、3社目、自分なりに対策も続けてきたし、周囲の人にもたくさん協力してもらった。

それでも、続けられなかった。できることは、思いつくかぎり試してみたと思う。会社に自分が行きやすくなるために、人付き合いに力を入れたり、仕事も積極的に行っていて、評価も悪くなかったと思う。

でもいつもダメになってしまうのだ。
だから、小林という「続かないヤンキー」に興味を持ってこの漫画を読み始めた。それがきっかけだ。

 

 

話を戻す。
「続かないヤンキー」こと主人公・小林は、宇野という、変わり者の転校生とひょんなことから仲良くなる。


宇野は、変わっている。例えば、話すときには大きすぎる声。あまりに高すぎる記憶力。そして、手にはいつもぼろぼろなノート。大きな音が苦手だったり、人が多いところではパニックになってしまう。

推測だが、宇野はなんらかの障害を持っているのだろう。彼は、自分の特性に困っていた。


でも、彼は自分のこと作中でこう言っている

 

-わからないことがあるときは1人で宇宙に浮いているみたいです。
-上手にまっすぐ歩けない
-それを笑われたり怒られたりすると怖くて恥ずかしい気持ちになります。

私は、胃の腑に言葉がストンと落ちていく感覚を味わった。

去年、職場で一度、あまりに一杯一杯になりすぎて、先輩からのとある指摘をきっかけに、大勢の同僚の前で、みっともなく大泣きしたことがあった。
当時の私の気持ちは、焦って、パニックでぐちゃぐちゃで混乱しており、どうやったらここから立ち直れるのか、どうしたらいいのか、見当もつかなかった。そして、そのことで相手をさらに不快にしてしまった。

 

そんなふうにして、指摘や怒られたことに恐怖や羞恥を感じてしまうのは、私が弱い人間だからだと思っていた。


しかし、この漫画を読んで、宇野と小林が「宇宙」でもがいているのを見て、ああ、私の苦しみは、私だけの苦しみではなかったんだな、と気づくことができた。
漫画を書いている作者の先生や、宇野や小林は、わかってくれる。そうやって、わかってくれる人が、この世には存在している。漫画に優しく自分を肯定された気がした。

 

別の日のことだ。
職場で、先輩への質問がまとめられず、焦ってパニックになって、どうすればいいのかわからなくなってしまったことがあった。あのときは私も一緒に笑ってしまったけど、本当は先輩に「意味わかんないんだけど笑」なんて笑って欲しくなどなかった。

わがままかもしれないけど。

あのときも、私が弱いから笑われて辛いんだと思っていたけど、本当は、焦って、宇宙でもがいて苦しんでいる私を笑って欲しくなどなかったんだなあ。
自分がそんな気持ちだったことに初めて気づけた。


宇野。小林。そして作者の泥ノ田犬彦先生。ありがとうございます。
宇野と小林を通して、あのとき泣いてしまった自分を、笑われたくなかった自分を客観的に見ることができました。
怖くて恥ずかしくて
そりゃあ感情がぐちゃぐちゃになって、涙も出て当然だったよ、自分。

 


先ほどの宇野のセリフ(引用)に続く言葉はこうだ。

-でも、僕は宇宙を歩きたい!

 

宇野が、「宇宙」を歩いていくための
「命綱」(テザーというそうだ。)として持っているのが、ぼろぼろのノートだ。


そこには「朝起きてからやること」や「バスの乗り方」など、生活に必要な行動に関する一切がメモしてある。
焦ってしまったり、わからなくなったときに咄嗟に見ると安心できる、とのこと。

私も自分なりに命綱に近いものを持っている。

 

私の命綱は、
パニックになりそうな強い感情(例えば、それこそ恐怖や、恥など。あとはすごく面白かったこと、なども。)を持ったときに、すぐにその気持ちを書き出すためにノートを開く、ことだ。

今こうやってブログを書いていることも多分、そのノートの一環で、本を読んで感動して、いっぱいいっぱいになった感情を、パソコンでぽちぽちとアウトプットしている状態なんだと思う。

自分なりのの命綱、もっとブラッシュアップしていこう。いつか、作中でノートをきっかけにつながっていく宇野と小林みたいに、それが人とのつながりを産むかもしれないしね!

Vtuber初めての配信を終えて

VtuberになってときメモGS4を投稿したい、という目標を先ほど達成した。

 

ここで一つ疑問、というか、難しいなと思った点があるので、それを共有させて欲しい。

 

ズバリ、Vtuberと、実況者の違いってなんだろうか。

 

私がやっていたのは、Vtuberではなくて、私が喋るだけの「実況」だったのではないだろうか、と言う気持ちがふつふつと湧いてきた。

 

Vtuberと実況の違いはなんだろう。

 

一つ挙げられるとすると「顔や個性のの見える化」だと思う。

Vtuberは基本的に常に本人(キャラクター)の顔が見える状態だが、実況者は声で魅せることしかできない。

また、個性の面では、私はもともとVtuberの、たくさんの属性が盛り込まれている感じが苦手だったのだが、それこそがVtuberVtuberたらしめているものなのかもしれない。

 

まあ、これも、自分で目標を立ててVtuberやってみたからこそわかったことだった。

とりあえず目標は達成したので、今後、どのようにしていくか、改めて考えていこうと思う。

もともと、そんなに大規模にやる予定はなかったけれど、今回、配信をやってみてとても楽しかったので、ぜひ続けていきたいなあ、せっかくだし、と思った。

 

配信の楽しさも、実際にやってみないとわからないことだったので、新しい経験ができてよかった。

 

挑戦して、あんまり上手く行った感はないけど、まあ、それも経験だなあ、と思う。

楽しかったからOKくらいの気持ちでいればいいのかもしれない。

 

これからVtuberなりたい人へ。こんなグダグダなダメダメな配信でもすることはできたので、やればできると思うよ!!!!

それだけは伝えたい。

Vtuberになった日  目標達成のコツ

突然だが、私の今年の目標を紹介したい。

空の写真



それは「Vtuberになってゲーム実況をする」ことだ。

その目標は、今日の夜、この後配信で達成されることとなる。

ちょっと気が早いものの、

その目標を達成できた「コツ」についてを、今回は、備忘も兼ねて綴っていこうと思う。

 

目標達成のコツ、それはズバリ、「他人に宣言してしまうこと」だ。

 

よく聞く話ではあるが、この宣言が私には一番効いたので、紹介させて欲しい。

 

私は、今まで極度の「言いっぱなしマン」だった。
特に、目標に向かって継続的に何かをすることが苦手で、3日坊主どころか、初日の意気込みだけで終わることもザラだった。
そんな私が、今回Vtuberを作って配信をする

ーー「アバターを自分でスタイリングする」「ゲーム実況用の機材を購入する」「SNSアカウントを運営する」など

の長期にわたるタスクをこなすことができたのは、

ひとえに「友人や知人に『やる!』と言ってしまった」からである。

 

私は「熱しやすく冷めやすい」人間であるため、1つのことに対して、集中力のムラがすごくある。
しかし、今回、約1ヶ月という長期間
(それでも短い!とは思うが、私にとってはまあまあ長い期間なのである!

目を瞑っていただきたい。)目標に向かうことができた。

案の定心が挫けたり、集中力が切れる瞬間は何度もあった。

制作がうまくいかなかったり、データが飛んだり、自分のお財布のキャパを超える費用が発生したり…などだ。

(自分のお財布のキャパを超える目標達成は、無理をしないほうがいい。経験者は語る。)

 

それでもなんとか達成までたどりつけたのは、その「やる」宣言作戦がうまくいったからだ。

 

 

「やる」宣言作戦は、そもそも私の弱点から生まれた作戦である。

私の弱点。それはめちゃめちゃ見栄っ張りなところだ。
根っからの見栄っ張リストだったので、人に言ってしまったことは必ずやり通したくなる。だって、「やる!」って言ってたのにやらなかったら(上手くできたかは別として)カッコ悪い!

そもそも、目標達成が今まで上手くできなかった理由にも「見栄っ張リスト」っぷりが隠されている。

いつも私はクオリティを求めすぎて、自分の力不足の中「こんなんじゃダメだ!」と、山奥に住む熟練の陶芸家みたいな謎のプライドが目標達成を邪魔することがある。

これも、見栄の一種で、他人に見せる自分は「完璧」でなくてはいけなくて、「すごく」て「かっこいい」自分を演じていたかった。

つまり、見栄っ張りでプライドが高い。すごく生きづらそうである。我ながら。

 

いつも見栄に目標を阻まれていた私だが、2024の私は「脱・普通」をテーマに掲げるオンナである。なので、いつも通りの自分から脱却しようと思い、今回のVtuber計画ではアプローチを変えてみることにした。

 

それが先述した「人に言う」作戦だ。

人に言って、「やる」と言う最低ラインを作ることは、その目標を「やった」時点で

他人への見栄を担保しつつ、自分のプライド的にも「最低限はできたぞ」と自信になる。そして、最低限だけ作っておけば、あとは少しづつ改善していけば良い。

100考えるより、1手を動かすほうが私には重要だった。

 

今回私が作成したものは、全くクオリティが高くない。
それでも、かなり満足いく仕上がりになったし、そもそも、いつも目標を達成できない私が、ちゃんと一つ成し遂げられたことが心地いい。

それだけで自信になった。

 

今度から目標達成を目指すときは、そこにさらに「日付」のリミットも加えようと思っている。

期間を決めて、何日までに、とすることで、さらにメリハリのある目標達成につながるのではないだろうか。

 

あと、目標達成に絶対に大切なこと、それは体調管理である。寝不足じゃないか、食事は取れているか。精神的にも、肉体的にもその土台がしっかりしていないと、目標達成どころじゃないと再認識した。

 

今回はVtuberになることだったが、私が言い出して達成されていないことはまだまだたくさんある。

それらについて、今回の「やる」宣言作戦の基、どんどんブラッシュアップさせていきたいな。

 

 

仕事が続けられない私はどうしたらいいのか

「脱・普通」とたびたび口にしてきた私だが、
じゃあ普通じゃなくなるには、どうしたらいいんだろうか、

ということについて悩む日々である。

 

そんな中、先日、知人が、今の私にぴったりなアドバイスをくれた。それは

「1軸での生き方が難しいなら、軸を増やして並行して進めていくのはどうか」
という提案だった。

 

話は少し変わるが、私は以前「マルチ・ポテンシャライト」という働き方について本を読んだことがある。(マルチ・ポテンシャライトについては後述する)

 

その本を読んだ感想は「確かに私はマルチ・ポテンシャライトかもしれない」

「でも、それって『普通』からの逃げなのではないか?」

だった。(まだまだ「普通」にガチガチに縛られていた時のことである)

自分をマルチ・ポテンシャライトだと思うことに自信が無く、「皆んな1軸で頑張っているのに、頑張らない言い訳をしている」気がしていたのである。

 

しかし、今回、知人からアドバイスを受けて私の考えはガラリと変わる。

なぜなら私にアドバイスをくれた知人が「めちゃくちゃ1軸で生きている」人だからだ。知人はその1つの軸にフルコミットするために、いかにして生きていくかを考え、体現している人だった。そして、

その1軸で生きていることがすごく充実していて、本当に楽しそうにされていたのが、強く印象に残っている。

 

私にとって、軸を絞って一つのことをやり続けることは、苦しいことだったので、
そんなふうに楽しむ人もいるんだ!と目から鱗だった。
そして、軸の数によって善悪が決まるわけではない、私が楽しくて面白がれる方を生きていいんだ、と思えるようになった。

 

私は、知人からの話を受けて、もう一度「マルチ・ポテンシャライト」について読み始めた

 

『マルチ・ポテンシャライト 好きなことを次々と仕事にして一生食っていく方法』

エミリー・ワプニック著

マルチ・ポテンシャライトとは、好奇心が旺盛で様々なことに興味を持ち、一つのことに専心せずに、次々と興味の対象を移していく人のことである。

私は自分のこの性格のことを、ずっと「熱しやすく冷めやすいタイプ」だと思っていた。この傾向がある人は転職常連者で、ジョブホッパーになりやすい。

最初にこの本を読んだ時も、(確か、前々職を辞めてすぐだったと思う)
自分のことをぴたりと言い当てられたみたいで、ドキッとしたことを覚えている。

 

マルチ・ポテンシャライトは「多芸に無芸」とか「器用貧乏」のような印象を持ちがちだが、主に3つの強みがある

 

① 2つ以上のアイデアを合体させるのが上手い

これは、興味が多岐に渡るので、A分野・B分野とそれぞれ興味のあることを合体させて、全く新しいアイデアを作ることが得意、ということである。

 

②学習速度が速い

これは、人よりも「初心者経験」が多いからである。
多岐に渡る分野で初心者を経験してきたマルチ・ポテンシャライトは、いわば「初心者のプロ」である。

 

③適応能力が高い

何かに適応していく能力が高いため、どんなシチュエーションであっても臨機応変に立ち回ることができる。

 

私は、これらの強みを聞いて、なんだか自分の存在が肯定されたような気持ちになった。
多すぎる興味は
自分を一分野のプロフェッショナルになること(=1つの仕事を何年も続けること)を阻むものだと思っていた。

 

また、実際に、そうやってたくさんの自分の興味を殺すことなく、仕事していくことができている人がいる、ということも非常に心強かった。

 

なんとなく仕事が続かない人の中には、好奇心が旺盛すぎて困っている人もいるのではないだろうか。私みたいに。

 

私の弱点は「何事も継続できないこと」だと思っていた。やってみたいことはいっぱいあるけど、全部続けられる自信がなくて、最初から断念してしまうことがある。

でもそれは、自分の特性として受け入れて、それにあった働き方をすればいいだけのことなのだった。私は継続できない。けどだからこそ、先にあげた3つの強みが存在している。

 

普通を目指しすぎて、普通以外に盲目的になっていた私だが、自分自身を見つめ直さなければいけないようだ。

 

この本を読んだこと、知人からアドバイスをもらったことは、
「この方向で合ってるよ!」というような、地図をもらった気がしている。

私にあった働き方は多分これなのだろう。

 

また、今回の感じたのは「百読は一会にしかず」ということだった。

本で読むのと、知人から実際に話を聞くのでは、圧倒的に後者の方がインパクトが大きかった。


ただ本で読んで、わかった気になるのと、実際に会って、話して、アドバイスをもらうのでは、自分への響き具合が全く違った。人に話を聞くことの面白さに目覚めた瞬間だった。

 

いつか、できるならば、この本の著者や、他のマルチ・ポテンシャライトの人たちにも会って話を聞いてみたい。

そして、その時には、自信を持って「私はこんな働き方をしています!」と言えるようになりたい。いや、ならなくちゃ、絶対なってやる。

高校生の私へ、24歳の私より(手紙)

高校生の私へ

拝啓

この手紙を読んでいるあなたは、毎日、学校に行くことが苦しくて、泣いてばかりいることでしょう。

毎日泣いているから、目の下も、鼻の下も常にガサガサになっていることでしょう。

 

部活では、荷が重い役目をうまく務められず、
教室でも何だか自分が1人だけが浮いている気がして、怖かったことと思います。
勉強にも全く身が入らず成績はめちゃめちゃ、部活も中途半端になって、なんでこんなに生きることが難しいのか、と嘆いていましたね。

 

 

そんなあなたは高2の冬に不登校になります。

 

 

今思い出しても、あの時は本当に苦しかった。
不登校になってしまって、自分の人生終わったな、と本気で思っていました。
普通のレールから弾かれて、このまま死ぬまで引きこもりかもしれないと思いました。


皆んなみたいに、どうして学校に通えないんだろう。

自分の弱さを「甘え」と信じきっていた私は、ずっと自分を責め続けていました。
学校をサボっていると親に嗜められたことも何度かありました。その度に私はまた
たくさん泣きました。なりふり構わず声をあげて泣きました。赤ちゃんみたいに。

 

 

ひとしきり泣き終わった私は、自分が普通に戻るための進路を組み立てます。

 

高3の私は、まず高校をやり直すために、通信制の学校に転入しました。
4年間高い学費を払ってもらうほど、自分の人生に価値がないと思っていたので、2年で卒業できる短大に入ることを決めました。

 

短大は変わったところでしたが、社会人になった今でも付き合いのある友達ができました。
そこでお世話になった先生とは、卒業した今でも連絡をとって、悩み話を聞いてもらっています。

 

 

短大を卒業して、さあ普通に社会人になるぞ、と思った私ですが、
残念ながら、大人になった私も、仕事に行けなくなりました。

 

 

根っこの弱虫な部分は何一つ変化していません。

いろいろな職場を経験したけど、いつもなぜか通えなくなってしまいます。
特に人に辛くあたられたわけでもないのに。

毎日涙を堪えながら、会社に行くことになります。涙は流している最中よりも堪えている時のほうが数倍苦しい、ということがわかりました。

 

あなたはある日、会社の自分のデスクで、皆んなの前で、嗚咽をこぼすほど大泣きします。あれは恥ずかしかった。でも、限界だったんだな、と今なら思えます。

 

そんな感じで、これを書いている大人の私は、あなたと全く変わっていません。
お酒があれば涙を乾かすことができる、ということを覚えたくらいです。

(高校生の私に言っておくと、私はめちゃめちゃ酒癖が悪いダメな大人になっています。酔っ払って失敗したことも何度かあるので先に謝っておきます。)

 

そんな荒んだ心持ちで人生を続けている大人の私ですが、成長して気づけたこともあります。それは、人に恵まれていることです。

 

仕事ができなくなった私は、家族をはじめ、友人、先生、恋人、たくさんの
人に私の話を聞いてもらいました。励まされたり、時には笑ってくれたり、すごくすごく貴重な体験をすることになります。

その体験を通じて、私は「周囲の人に本当に恵まれているな」ということを実感することができました。あなたには困った時に助けてくれる人がたくさんいます。これは一種の自分の才能だと思います。私の誇りです。あなたも胸をはってください。

 

また、逆に人の話をたくさん聞くこともできました。
あなたは、自分のことを弱虫だと思っていますが、それは逆に捉えれば、他人の弱さに優しくなれることです。人の相談や打ち明け話を聞いて、みんな暗中模索なんだな、と気づくことになります。

 

今のあなたは、たぶん、普通を目指しながら心のどこかで

「もっとぶっ壊れてしまいたい」

みたいな破滅願望に似た何かを感じていると思います。

 

 

それは、普通を諦めたかったから。

24になった私は、案外すんなり普通を手放すことができました。

 

 

まだまだ、これからどうしていこうか悩んでいる最中ですが、無理に普通になろうとしなくていい。好きな人たちと暮らして、アルバイトで働いて、たまに図書館で本を少し借りて読むことができたら、どうやら普通じゃなくてもそれで満足だな、ということに大人の私は気づきます。これは、たぶん人生最大の気づきだと思います。

 

 

あなたは、弱虫のままでいいんだよ。それがあなたの良さだよ。

無理やりみんなと同じにならなくていいんだよ。
なめらかじゃなくて、でこぼこしていいんだよ。
普通かどうかじゃなくて、あなたの意思で人生の舵をとっていいんだよ。

 

そんなことを10代のあなたに伝えたい。

今はまだ納得いかないかもしれないけど、

普通が苦しくなった時、普通じゃないも選べることを忘れないでいてほしい。

 

あとは、たくさん本を読んでほしい。

あなたの世界を間違いなく広げていくから。本は、外が苦手なあなたの代わりに、たくさんの知識を与えてくれます。そして、人生の参考書になる本を見つけてください。

 

長くなりましたね。この辺りで結びにしようと思います。

 

 

良くも悪くも、必ず朝は来るのです。

 

敬具

24歳の私より

 

 

 

 

普通から脱出すること

普通とは何か。

 

昨日(2024年1月17日)書いた記事に「普通」という言葉がたくさん出てくる。
普通、それは私が求めてやまなかったもの、なんとしても手に入れるべきものだった。


私が普通という言葉に、明確に縛られ始めたのは、
高校2年の冬、学校に行けなくなった時だった。

 

元々登校拒否気味の人間ではあったのだが、冬休み明けを境にめっきり学校に行けなくなってしまった。

別に、いじめを受けていたとか、誰かにつらく当たられていたとか、そういうことではなかったのだが、学校という空間にいることに、言語化し難い、鈍くて重い苦しさを感じていた。

よく人には「もっと辛い人もいるんだから」と学校に行かないことを責められたが、
今でも私は、あの時の自分の「行かない」という選択肢を(反省はするけど)後悔はしていない。

 

 

登校は本当に辛かった。毎朝、会社や学校に行く「一歩」がどうしても踏み出せないのだ。無理に足を動かそうとすると、感情がバグを起こしたみたいに、涙が溢れて、そしてその涙で濡れた靴下が気持ち悪くて、靴下を履き替えるのも面倒で、全てがどうでもよくなり、やさぐれて布団に帰っていく。そんな毎日の繰り返しだった。

 

さて、こうしてベットに帰っていった高2の私だが、布団の中で焦るわけである。
「このままでは、将来ニートになってしまう!」

※悲しいかな2024の私はニートなのだが、あの時想像していたよりも悪くないぞ!

 

そこで、高2の私は「普通の人生にコースを戻す」をモットーに進路を決めることを誓うのである。それが、私のカオス・2024年を迎えるきっかけになるとも知らずに。

 

 

 

私は現在24歳だ。短大卒なので社会人歴は4年目である。そんな私が「普通」を求めて

勤めた会社は3社。

全て正社員だったが、どれも1年程度しか続かず職を退いている。全敗である。
これでよく「普通」などと宣えたものだな、とさえ思う。
退職した理由は、不登校になったときと同じで、
漠然とした苦しさと毎日戦っているうちに、また朝、「一歩」を踏み出せなくなったのである。二の舞。そして、ニートに至る。

 

普通になりたくて、資格を在学中にとって経理の事務をやってみたり、好きなことなら続くかもと図書館司書をやってみたり、はては在宅勤務を目指してエンジニアになったりした。

(これからエンジニアを志望されるみなさんへ、フルリモ案件なんてそうそうないです。私の実体験より。)

今だからこそ、面白い経歴してるな〜と思えるが、

3社目を辞めた当初は

「どうして私はみんなと同じようにやれないんだろう」

とたくさん泣いた。

 

 

仕事から離れてみた私は、ふと真実に気づいてしまった。

「3回やってもダメなら、どうやってもそれ以上試行するのは無駄だな…?」

「そもそも、私には普通が着こなせないのかもしれないな」

そして

「じゃあ、私は何がやりたいんだ…?」

どうやら、私は普通コースに縛られて、自分のやりたいことを見失っていたらしい。

今、ちょうどここに「普通」から外れた私がいる。

これは、普通じゃないコースに試しに向かってみる絶好のチャンスではないか。

 

アルバイトをして、貯めたお金で大学に通い直すのもいい。
(母の影響で短大に進学したが、4大には未だ憧れがあるのだ)
そして、その大学では、就職を意識しないで私が好きなことだけを突き詰めた内容を学ぼう。そんなふうに夢が広がって、言葉にしたのが昨日の記事であった。

 

今はまだ空想の段階だが、考えただけで口角が上がり、心拍数が上昇しているのがわかる。入るためには勉強もしないといけない、準備することもたくさんある。

でも、それが楽しい。久しぶりに人生のワクワク感を取り戻した気がしている。

 

 

ちなみに

自分が「普通」にもう向いていない、と気づけたのにはある本が関係している。

 

 

ずっとやりたかったことを、やりなさい。 -ジュリア・キャメロン著

 

ご存知の方も多いと思うが、私は現在この本で紹介されている「モーニングページ」というワークに取り組んでいる。

これがなかなか面白い。

毎朝、思ったことをA43ページにつらつらと書いて頭の中の排水を流していく作業なのだが、すごくスッキリする。

 

私は、これのおかげで、毎日にゆとりが生まれた気がしている。

そして、私には「普通」に仕事に行く毎日がいかに苦痛だったかがはっきりとわかった。

 

たとえば買い物などで外を歩く時も、音楽を流さないで、鳥の声や、風の音、向こうから小学生が走ってくる音、そういったものを楽しめる「余裕」ができたと思う。

仕事を続けていた時は、ホットミルクの表面の膜みたいな乳白色のぺろぺろが脳みそに巻き付いているような頭が回らない、回ったとして鳥の声を感じる余地などない、というような感覚に苛まれていたので、この効果はすごい。

本を一冊読むのは辛い、という方はモーニングページのやり方を解説されている動画などをご覧いただくと良いかもしれない。

 

そんなわけで、私は普通を脱出してみたのである。

「普通」に縛られて、困っている人がいたら、ぜひ相談してほしい。

一緒モーニングページ仲間になろう。